eigabakaの映画バカ

映画見るの億劫とか、食わず嫌いな人も是非どうぞ

「母性」鑑賞して参りました。

あなたのギブを他者に差し出すこと

ギブは既にされている。だから次に渡す。

あなたが先にギブすることで、そのギブが次の人につながっていく。



湊かなえさんという作家

「告白」2022年10月現在300万部がとても印象に残っています。人間がどういう衝動で動くのかを深く描写していると感じました。そして何より、人は自分のフィルターを通して物事を見ていることがよく分かります。

 

都合よく事象を捉えたり、他人のことを詮索したり、そういった人が悩むことで起こる選択は、大抵の場合、うまくいかないことを、作品の中で語っているような気がします。

 

湊かなえさんの人間観察力は、

「人間ならどうしても免れない定めのような、

人間関係から生まれる悩みは、

どうしても起こってしまうこと」

に注目できているということだと思います。

 

映画の登場人物の特異性、人間性は映画の中だけのお話でしょうか?

誰にでも起こりうることとして描かれています。

 

「母性」とは何か?

映画の中でも母性とは何か?という議論をする場面があります。

ググってみると

女性のもつ母親としての性質。母親として、自分の子供を守り育てようとする本能的特質。「―本能」」goo辞書より引用

となっています。

この説明がしっくりくるかは別として、

作品の中では、与えられるだけ愛を注ぐといった内容で表現されています。

 

それは、誰への愛か?

 

ここで考えなければならないのは、母親の愛は、娘(子供)に注がれるということです。

では、その目的は?

母親は、子供に元気に育って、幸せになってほしいと願うものです。

ただひたすら、子供のために愛することを本能的にしてしまうのです。

 

では、愛する目的が本能なのであれば。

 

弱さゆえに生き残り戦略として

娘(子供)はどうでしょうか?

娘は無条件に本能的に母親から愛されるのです。

 

生まれたばかりの子供は、自分で食べることもできなければ、外敵から逃げることもできません。子供はめちゃくちゃ弱い存在なのです。

 

弱い、小さいということは、生き残る可能性を低くしてしまいます。

 

つまり、子供は、弱いということを通して、大人に守ってもらっています。

本能として弱いことが結果として生き残る戦略となっているのです。

 

お互いの利害が一致している

愛を注ぐことが本能の母親と

弱いことで大人から守られる子供。

ではどちらが先か

与えられるから受け取るのか、受け取るから与えるのか?

どちらも間違っていないと思います。

 

禅問答のようですね。

 

母親からのギブは、何事にも代え難い愛情です。

そのギブを、子供はその子供にギブすれば良いのだと思います。

 

 

○映画であなたの心に活力を。