eigabakaの映画バカ

映画見るの億劫とか、食わず嫌いな人も是非どうぞ

スタートレックジェネレーションズ

新スタートレックがシリーズ7で終了して、初の新世代クルーでの映画化となりました。

こちら、1994年の作品。

これ、高校時代に、映画館に観に行きました。

 

まだ、劇場に看板が設置されているような時代。

そう、昔はポスターとか、立体の販促物とかなかったですね。

それだけでも懐かしい。

 

学校をサボって、電車で30分かけて映画館に行きました。

 

前置きは、良いとして、

もちろん、新スタートレックのメンバーが総出演。

特にガイナンにまつわるお話です。ガイナンは、めちゃめちゃ長生きのエルウォーリア人です。(宇宙人)

 

データがエモーションチップを使って、感情を理解できるようになります。

ユーモアだけでなく、恐怖も感じるようになります。

これだけでも、データファンにとっては、めちゃめちゃ成長を感じられて面白いです。

 

エネルギーリボンというものが周期的に現れ、あの、あの歴史的人物もその影響を受けていました。

 

宇宙大作戦のキャストの皆さんも出てきます。

 

世代交代。

 

寂しい部分と、嬉しい部分(これから新しい世代の始まり)も感じられます。

 

ネタバレは、次回

 

 

 

なかなか、映画館に行けず(いいわけ)

仕事忙しー

やること多いー

ぜんぜん、映画館いけません。

 

実際引っ越して、最寄り映画館遠くなって、、、

 

 

わかってる。

 

いいわけしたいよね。

 

 

行けない理由なんて、いくらでもあるよね。

 

 

でも思考停止してるやん。

 

映画馬鹿なんでしょ?

 

自分が楽しいと思えることしなあかんやろ?

 

みんなそう言うよね。

 

そうだと思う。

 

もう一回考えよ。

 

やればできるて😆

「イチケイのカラス」を鑑賞してまいりました。

イチケイのカラス」を鑑賞してまいりました。

2023年初めの映画は「イチケイのカラス」

ドラマ版は、なんとなく、ながら見しておりました。

竹野内豊さんの

「職権を発動します」という言葉がなんとなく印象に残っておりました。

裁判官が職権を発動すると言うことは、実際はあまりないそうです。

そういった型破り?な裁判官役の竹野内豊さん。

2016年の「グッドパートナー」という弁護士ドラマを思い出します。

「弁護士ではなく、1人の人間として話します・・・」というセリフが好きでした。

弁護士として勝つか負けるかということではなく、人としてどう考えるか?を語っていたのだと思います。

 

今回の裁判官入間みちおは、私たちのだく、裁判官のイメージ(公正公平、法に厳格)という感じではなく、人の思いを大切にする裁判官でした。

 

誰しもが人を裁く機会が来るかも知れない日本

現在日本では裁判員裁判が行われます。

詳しくは、割愛しますが、有罪、無罪、量刑までを裁判員で評価して決める制度です。

ここで思うのは、映画でもありましたが、「法の限界」という考え方です。

 

法は完璧ではありません。だからこそ、法律で守られない人も出てきてしまうことが起こります。みんなが納得する判決は出せるのでしょうか?

 

被告が100%悪い事件もあるかもしれません。

でもほんの少しでも、同情する気持ちが起こるかもしれません。

ちょっとした見過ごしがあって冤罪になるかもしれません。

 

裁判官も人間です。こうした少しの疑問、少しの見過ごしを極限まで無くすことが

理想ですが、一般の人より法律のプロなだけで、悩みながら判決を下していると思います。

 

この映画のお話では、

①大企業に依存した町で

②実際の起こっている不具合があり

③本当に正しいことって何?

 

といったお話が繰り広げられます。

 

正しさとは何か?

正義感とは何か?

正しさとは何か?

 

ある人にとっての正しさは、ある人にとっては間違いであることがあります。

 

例えば、

家族のために働いているお父さん

お父さんと遊んでもらえない子供

 

例えば、

ようやく産卵のため生まれ育った川に戻った鮭

子熊が初めて自分で獲った食料の鮭

 

例えば、

敵の軍事力拡大を止めたい国

同盟国が侵略されるのを支援する国

 

多面的

長期的

根本的

にどうなのかを考えることが大事です。

安岡正篤「ものの考え方3原則」

 

これでも正しさは捉える人、捉える時間、捉える場所によって変わってくるのではないでしょうか?

 

この映画ではそれぞれの立場で

正しさが語られています。

 

どの意見も納得。

 

今のあなたはどんな正しさを持っていますか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「母性」鑑賞して参りました。

あなたのギブを他者に差し出すこと

ギブは既にされている。だから次に渡す。

あなたが先にギブすることで、そのギブが次の人につながっていく。



湊かなえさんという作家

「告白」2022年10月現在300万部がとても印象に残っています。人間がどういう衝動で動くのかを深く描写していると感じました。そして何より、人は自分のフィルターを通して物事を見ていることがよく分かります。

 

都合よく事象を捉えたり、他人のことを詮索したり、そういった人が悩むことで起こる選択は、大抵の場合、うまくいかないことを、作品の中で語っているような気がします。

 

湊かなえさんの人間観察力は、

「人間ならどうしても免れない定めのような、

人間関係から生まれる悩みは、

どうしても起こってしまうこと」

に注目できているということだと思います。

 

映画の登場人物の特異性、人間性は映画の中だけのお話でしょうか?

誰にでも起こりうることとして描かれています。

 

「母性」とは何か?

映画の中でも母性とは何か?という議論をする場面があります。

ググってみると

女性のもつ母親としての性質。母親として、自分の子供を守り育てようとする本能的特質。「―本能」」goo辞書より引用

となっています。

この説明がしっくりくるかは別として、

作品の中では、与えられるだけ愛を注ぐといった内容で表現されています。

 

それは、誰への愛か?

 

ここで考えなければならないのは、母親の愛は、娘(子供)に注がれるということです。

では、その目的は?

母親は、子供に元気に育って、幸せになってほしいと願うものです。

ただひたすら、子供のために愛することを本能的にしてしまうのです。

 

では、愛する目的が本能なのであれば。

 

弱さゆえに生き残り戦略として

娘(子供)はどうでしょうか?

娘は無条件に本能的に母親から愛されるのです。

 

生まれたばかりの子供は、自分で食べることもできなければ、外敵から逃げることもできません。子供はめちゃくちゃ弱い存在なのです。

 

弱い、小さいということは、生き残る可能性を低くしてしまいます。

 

つまり、子供は、弱いということを通して、大人に守ってもらっています。

本能として弱いことが結果として生き残る戦略となっているのです。

 

お互いの利害が一致している

愛を注ぐことが本能の母親と

弱いことで大人から守られる子供。

ではどちらが先か

与えられるから受け取るのか、受け取るから与えるのか?

どちらも間違っていないと思います。

 

禅問答のようですね。

 

母親からのギブは、何事にも代え難い愛情です。

そのギブを、子供はその子供にギブすれば良いのだと思います。

 

 

○映画であなたの心に活力を。